辺野古の美しい海に、戦争のための基地はいらない!!!
2009年に、鳩山由紀夫氏が「普天間基地の国外移設」を掲げ、総理大臣になりました。
しかし、アメリカの力に押し切られて「辺野古州変異移設する」と発表しました。
国と、沖縄県、名護市が移設工事を巡ってバトル開始です。
沖縄に、基地を押し付けるのはやめよう!
本土の人から見たら、沖縄に基地を押し付けている感覚はないと思う人が多数いると
思う。
しかし、沖縄と沖縄における米軍基地の歴史を見てみると、沖縄に基地が集中している
のは、「本土」の人が沖縄に米軍基地を押し付けていることは明白である。
沖縄の基地は、経済的メリットもありますが、事故や犯罪などのデメリットの方が
大きいとみて稲嶺前名護市長は8年間、翁長沖縄県知事は4年間、両者とも
「あらゆる権限を行使して辺野古埋め立て工事、移設を阻止してみせる」と言ってきた。
阻止できるのか、長引く紛争で疲れてしまうのは沖縄県民である。
沖縄は、1945年の沖縄戦から1972年の「本土復帰」までの四半世紀にわたり、
米軍に占領・統治された。一方、「本土」は、主権回復以降、日本国憲法と
日米安保条約に守られながら、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、近隣の戦争を経て
戦後復興と経済の高度成長を成し遂げ、世界でも有数の豊かな経済大国となった
注目すべきは、その間、米軍基地負担の「本土」から沖縄への移転が進んだこと
である。敗戦直後、「本土」と沖縄の米軍基地面積比率は、およそ[90%:10%]
であった。その後、平和条約締結を経た50年代には、本土で基地地元住民を中心に
反基地運動が激化、実力行使を伴った激しい反対運動が繰り広げられる中、「本土」
からの基地の撤退や、沖縄への移転(岐阜県、山梨県の海兵隊基地の沖縄移転など)
が行われ、60年代には、その比率は[50%:50%]となった。そして、沖縄が
「本土復帰」した70年代には、[15%:75%]となり、今に至っている。
「本土」が日本国憲法と日米安保条約の下、「復興⇒成長」を実現し、
「戦争」や「軍隊」が生活の中の身近な空間から消えていく中、
「地上戦⇒米軍統治⇒基地負担集中」と、沖縄は、戦後一貫して「戦争」「軍隊」
を生活の中に抱き込まされることになった。
では、沖縄に全国の75%もの米軍基地を抱き込ませ、現在も抱き込ませ続けて
いるのはいったい誰なのか。
それは、日本国政府であり、その日本国政府を1946年に行われた初の男女
普通選挙以来、70年間にわたって選び、信任している我々日本国民一人一人である
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日本政府が力ずくで普天間飛行場の辺野古移設へ向けた埋め立て工事を近く再開する
見通しとなった。
沖縄県が埋め立て承認を8月に撤回。
しかし、石井国土交通省が、県の承認撤回を無効とする「執行停止」を木俣。
日本政府は、力ずくで辺野古埋め立てを再開する。
2回の知事選で「辺野古ノー」の民意が示されたにもかかわらず。
国の機関である沖縄防衛局が私人になりすまし、同じ国の国交省に申し立てるという
おかしな話である。
玉城知事が「自作自演の極めて不当なけって」と批判したことは当然である。
弱い者いじめは日本国よ!やめてくれ。
玉城知事は「対話と協議で問題解決を」と訴えているではないか。
情けなくて日本国民として、意見させてもらった。
沖縄の負担軽減策を虚心に話し合えばよいことなのに、それができない日本政府。
ニッポン国民として、正しい判断をして「沖縄を応援しよう」
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ニッポン国民の一人として意見を申す 平尾